言えるってうらやましい
を読んだ。
うつや躁鬱の本でも壮絶な話を読んでモロにくらったことがあったので、
あんまりのめりこみすぎないようにして読んだ。
近くにいる人の支えは本当に大事でありがたいものだなあと思った。
「身近な人に理解してもらえる」ことは何にも代えがたい財産だ。
私は信頼している友人に自分の状況を話した時、
自分の職場にも精神障害の子がいて~という話から
「みんな大変なのに、その子だけそれを言い訳にしてるのが受け入れられない」
って言われて、遠回しに私もそう思われているんだな~と思ってから、
周りにはもう言わないようにしよう、と決めた。
家族にもいまいち説明しきれてないから、不安を与えてるかもしれないけれど、
父親が医者でもないのに朗々と「薬なんか飲むからだめになるんだ!!!」と周りに語ってる人なので正面から向き合うのにはまだ私のメンタル足りなすぎる。
つらいつらい…って思ってツイッターで吐き出してみても(なるべく冷静の体を保って)、反応がなければ私なんてどうでもいい存在なんだ…と余計落ち込んでしまう。
反応されたらされたで「かまってちゃんみたいに思われたかな…」と不安になる。
しばらく前にちょっと思った、カウンセラーさんにお世話になろうかなという気持ちがちょっと復活しつつある。
ただ、高いし…手帳申請したら割引?免除?適用されるのかな。それとも3割診療外になるのかな。ということを調べなきゃ…っていうのが億劫で…
でも人伝いの知識より自分で調べた知識の方が頭に入ってくるタイプなので
HSPのことと一緒にこれから知識を貯めていきたいところです。
誰にも話せない、という部分は、本を読むことでちょびっとだけ解放できたりする。
課題は増える一方だ…
気質にしろ精神障害にしろ
通院2か月に1回に減った。薬の量は変わってない、けどそもそもが少ないのでどちらにせよ少ない。
自分の状態のことを職場で誰にも伝えていないので苦しい、誰か一人でも知っていてくれればと思うけど、周りに言うのはそれを言い訳にしてると思われたり大げさに言ってるだけだと思われるのに耐えられないからできない。(前の職場でそれで失敗した)というところが今回は相談したいポイントだったけれど、まあ、変わらず「周りに理解してもらおうと思わず、自分で逃げ場を作るなど対処をしていくのがいいです」ということだった。やってるんですけどね。それでも苦しいんですけどね、とは思うけれど、それで簡単に楽になるなら通院も服薬もしていないのだ。ということで模索は続きます。
先生は物静かでこちらの言葉に耳を傾けてくれるけれど、窓口の方々がどうにも苦手だ。メンタルクリニックで待合室全員に聞こえる声でしゃべったり笑ったり、内容や個人情報まるわかりな感じで予約の電話とるのとかどうにもならんのかなと思う。小さなクリニックだから無理かなあ。
テレビでHSPを取り上げていて、診断テストがあったのでやってみたら見事に全項目当てはまってしまい、でもそりゃそうだわな、くらいにしか思わなかった。カウンセリングでHSPだと診断された、という出演者が、司会者から「病気じゃないんですか?」と聞かれて「病気ではなく気質です」とはっきり答えていたのがいいなあと思った。スタジオには診断テストの項目にほとんど当てはまらないという出演者が多くて、でも指原さんが「だからよくわからない」じゃなくて「ということは自分は気づかないうちにHSPの人を苦しめていたかもしれない」という風に思考転換できていてすごいなと思った。また、他の出演者が(スタジオの女性出演者に当てはまらない人が多いのを受けて)「やっぱり女性の方が強いんですよね」といったときに「それは男性女性とか関係なく個人の違いだと思う」と言葉をはさんでいたのもいいなあと思った。
気質にしても精神障害にしても、これからも細分化はどんどんと進んでいって、誰もが何かしら名前の付いた症状を持っていますと自覚する世の中が来るんだろうけれど、こうして名前が付くのも人によって感じ方は様々。
名前が付いたことで安心する人もいれば、枠にくくられるのが嫌だという人もいるだろうし、そうやって細かく名前を付けること、それを自分に当てはまらないものまで知らなきゃいけないということを煩わしく思う人もいると思う。
名前がついたことで「ああ、私は〇〇なんだ」と自己暗示みたいになってしまうこともあるだろうし…(私も現状、それをなかなか客観的に見極められない)
ただ、自分の症状や状態に名前が付くことは、自分を理解する一手段になる。
どうすればいいかわからなかった心や体の状態への対処法を、集合知から得られるようになるのは大きな大きなメリットだなと思う。
名前がつきました、じゃあ「私はこうだからこうなんです受け入れてください」というよりは、「わたしはこうだからこうすればいいのか」という方面の感じでまずは受け止めると、周りに理解が得られないことを「私はこうだって診断されたのに!」という事実に依ってさらに苦しむのは回避できるかもしれない。
人が自分と違う人のことを理解して受け入れることなんてエベレスト級に難しいことだし、ただただ、自分が自分のことを各々で勉強して理解する流れになれば、相互理解はできずとも共存はしていけるのかな、それっていい感じだな、と思った。
トンネルの長さはどうやって決まるのか
今回の落ち込み(抑うつっていっていいレベルなのかわからないから落ち込みと呼んでいます)はいつもに比べて長かった。
仕事の量とプレッシャーがあったからかなと思うけれど(前職はそれが引き金になったのでとても注意しなくてはいけない)2週間は私にとっては長い方。
今日は朝から大雨に降られながらも驚くべきポジティブさ&高揚感でひさびさに陽を見たような気持ち。
ほとんど褒められない仕事でも褒められたり、職場の人とうまくコミュニケーションが取れたり、緊張状態の少ない中で過ごせたり、良い要因が重なって跳ね上がったようです。
こうなってくると今度は反動に注意しなくてはいけない、というので明日はテンション落とし目で過ごさなきゃ…という調整の仕方。
上がってる時の自分は無敵感さえ持ってしまうので自分で蓋をしなきゃいけないんだけど、
落ち込みがひどいときの自分と同じくらい、上がってるときの自分は言うこと聞いてくれない。ウェイウェイである。困る。
多重人格というわけではないけれど少なくとも自分が三種類はいる感じ。ウェイウェイな自分と深海の自分とニュートラルな自分。
診断を受けてよかったなと思うのは、上がり下がりの最中にもどこかでニュートラルな自分がそれを俯瞰で見ているような瞬間を感じられるようになったこと。
とはいえニュートラちゃんはそこまで強い力はないから、上がり下がりに作用できないしほんの一瞬眺めてるくらいなんだけれども、ここをじわじわ強く広くしていけたら安定した日々が送れるようになるのではないでしょうか、というのが今の見解です。
自分で実験してるみたい。億劫がらずにデータをとるのがいいかもしれない。
4日目のゆううつ
生理になると抑うつ症状が強くなる、にしても仕事のもろもろで拍車がかかり4日目というのになかなかひどかった。
それでも短時間であればそれなりに振舞えるのだから一体、普通の人との境目とはなんぞや、と思う毎回のことです。スイッチ入れればテンション高い人になれる。切れたら目を合わせることもできない人になってしまうけれど。
不安が強くなったら飲んでね、のお薬を定期的に飲むようにしはじめて1か月、効果はよくわからん。おまもりみたいなもの。改善しないときもある気がするけれど。薬とはなんぞや…。
前の職場では抑うつな時に「怖い」「何考えてるかわからない」「怒ってるんでしょ」と散々勘違いされて(説明してもだめだった)、友人には「誰だってつらいときはある」と言われて、だからもうそうなったらとにかく人から離れて一人になるしかない。
の結果、会社の入ってるビルの屋上を発見したので、逃避場所を発見して良い収穫でした。
ただ、屋上への階段がかなり急&踊り場の手すりが低くて、つまづいたらそのまま7階からアスファルトにダイブする羽目になりそうなのでとても怖かったです。死ぬの怖い!!!というのが自覚できるのも良い収穫なんではないかと思います。
「いつも穏やかでいつ何時も誰に対しても態度が変わらない人」にあこがれるけど、私にとったらそうなることは相当な無理を自分に強いてすり減らさないといけなくなるな、ということに気づけたので諦めました。たまにふらっといなくなる人のポジションでいきます。
周期ってきっとあるんだけれど
私の躁鬱の鬱の方は一定の周期と突然やってくるのと二種類あって、
ひとつは月経周期に合わせてやってくる定期的なやつ。
生理前より生理になった瞬間からの落ち込みが毎度ひどい。
精神科に行く前はPMSか、はたまたPMDDか!など調べてみて婦人科にも行ったけれど、
「生理前の不調でなければPMSではないですね」の一刀両断で終わった。
知識不足でわかってない部分がたくさんあるのはそうなんだけれど、
PMSでなくても月経の周期とリンクするものはたくさんあって、私のもそのひとつなのかなあ、と思っている。
抑うつ症状といっても生活はできてるし、人前で普通に振舞えるようにもなってきた。
1年半前はそれができなかったからこれはかなりの進歩。
家にいるときや職場から離れたあとなんかは抜け殻になってしまうけれど、
それは致し方ないと思えているのも進歩。
しかし毎月くるとわかっていても、落ち込みと無気力に対抗できずに一日がつぶれてあーあ、と思うのは毎度やるせない。
それから今日気づいたのは、
夜更かしをすると生活リズムが乱れるからよくない、というのもあるし、
夜更かしをすると考えすぎてしまうもしくはテンションが上がりすぎてしまう、ということがあるのでよくない、ということ。
考えすぎないうちに寝るのがいいんだな。
明日は海面に上がれるといいなと思いながら寝る。
つっぱしったらだめなのよ
一晩めそめそ泣いたら今日はからっとした心模様でそうだ、そういえば泣いたあとはいつもこうだね!って新たな自分の法則に気付く。
やたらびくびくしてみていたけれど、使える制度だとかどんどん使ってこ!自分を生きやすくしてあげられるのは自分だけよね!なんて急に明るくしぶとく前向きな私になったのでした。このままいい調子でつっぱしっ
たら上がりすぎちゃうからだめなんですね!舵取りむずかしい!
先週から付け始めた苛々ノート、最初は一ページびっしりに「今日の苛々したこと」を書いていたけど、自覚したらだんだん減ってきた
苛々はするけど、あ、苛々してるって客観視できるようになってきた
悲しかったことと嬉しかったことも書くようになった
ぱっと見てそれぞれの分量がわかるのが良い
なにをするのが自分にとっていいことだかわかんないから手あたり次第やってみるしかない!
と思える今日
明日になったらどうかな
昨日の自分と今日の自分と明日の自分はぜんぶ 違う人みたい
希望に満ちて走り出して、翌朝目覚めて慌ててブレーキをかけたり
動力資源は枯れ果てました、と思ったのにもう素知らぬ顔で歩いていたり
把握も予測も難しい 今まで出会った中でいちばんややこしい人かもしれない
お願いだから目が覚めたら穏やかであってくださいね