真夜中のポップコーン

やるべきことが積もり積もって、瓦解を思って袋を開ける。明日の不安を、明後日の不安を、君への気持ちにまつわる不安を思って食べる。吹き出物がでるだろうかと危惧しながら食べる。故郷の父母を思い出して泣きそうになって食べる。テレビで紹介されているおいしそうなハンバーグを見ながら食べる。うまくいかないことの端から端を忘れるために食べる。食べる。足元が揺れて崩れるような未来を想像しながら食べる。食べる。食べる。食欲と幸せと、迷ってるし、苦しいし、欲望の何がいけないのか、私の欲望は何か、自覚することを放棄して食べる、ポップコーン、おいしい。

自戒のニラモヤシ

ニラがあってもやしがあったので塩コショウで炒めて、炒めているうちにあれ、これは実家でよく食べていたおかずだ、と気づいた。母がよく一品として作ってくれていた料理だった。とても安心する味がして、それと一緒に実家にいたころ、ひねくれた態度や冷たい態度、総じて悪態を、母に対して向けていたことを、思い出して、ああ私はいつかこのことをちゃんと謝ることができるだろうか。このことを、ちゃんと、感謝の言葉で伝えることができるだろうか。それから、この気持ちは、忘れちゃいけないと思った、自戒のニラモヤシ。

悲しみの誕生日

誕生日ってなにもしないでいてもハードルが上がる、誕生日をプレーンな一日として過ごすまでの心の余裕を手に入れるまでには私はまだまだたくさんの道のりを歩かねばなるまいと思った今年の誕生日、先日迎えました。

自分の誕生日パーティーなんて文化は小学生の頃に滅して以来実家にいた時はなんだかんだと家族が身近でお祝いをしてくれた誕生日。一人暮らしをして2度目の誕生日、元々なんの予定も無かったけれど、そうだ、一つ歳をとるわけだから一つできることを増やそう、と、一人焼肉デビューを果たし、一人水族館を満喫する(これはもともとの趣味)という予定をねじ込んだんだけれども、(いや、これって見る人の大半にとっては痛々しいなとお思いになられるかもしれない、そうなんだろうけど人を巻き込むほどのことでもない、という気持ちもあってそんな落としどころだったんだけれども、)どうも、そうやってなんとか脱・なんでもない日、「なんでもある日」にしたい欲を出すと最終的にじわんと落ち込んで終わるんだなあって思い知ったのでした。だっていい日にしたい思いが強すぎて、少しの嫌なことにとても落ち込んで、いいことが霞んじゃう不穏な現象が勃発。メールやSNSで「おめでとう」と声を掛けてもらえること、自分の誕生日を覚えてくれていて、それを伝えてくれるだけでなんと嬉しく有難いことか、と思うのに、その後に巻き起こるちょっとした悲しみとか惨めさ、あんまりメールが来ないなあ、とかにまつわる私はどうでもいい人間なんだ…という過剰妄想、(ということにしてやってくれ)そんな私なのに今日なんかソワソワしちゃって恥ずかしい、なんてそんな切ない感じのものたちが「特別な日」の衣をまとってぶくぶくと膨れ上がり確かに確かに感じたはずの幸せを隅に追いやって精神の中枢で我が物顔をするわけです。なんてこと。頼むから幸福を吸い込んでくれよ。そっちの方面でぶくぶくと膨れ上がって私を幸せと感謝の気持ちでいっぱいにしてくれよ。そう、切に願うんだけど、負に傾いた螺旋階段はゆっくりと倒れていったのでした。

果たして。どんな誕生日を迎えれば、私は満足するのだろうか?「たくさんの人に囲まれて生まれたことを祝われる」「自分だけの特別な素敵な何かを手に入れる」「いろんな欲を存分に満たす」ああ、考えただけで己の欲深さが嫌になってくる選択肢だね!かといって自分を生かしてくれる全てのものに感謝…みたいな自然幸福志向派みたいなこともきっとできない煩悩の私が目指すちょうどいい誕生日の落としどころは、ちょうどいいのは、

「おめでとうをありがとう、今日は好物をたべます」

くらいのところだな!という結論、来年はそんな一日を目指します。

(目指している時点でやっぱり煩悩人)

バリバリ3本

趣味が多いね、楽しそうだね、と職場の同僚や友人にたびたび言われるけれど、なんかそんなポジティブ満開なものでもないことに気付きました。私は苛立ちや嫌悪のアンテナが敏感で、イライラの種を拾いやすい性分なもので、普段生活しているともうほんとうに、それはもうほんとうに、歩けばイライラが発症しちゃうような、出会うたくさんのものたちに苛立ちや嫌悪のラベルをペタペタと探しながら歩いているみたいな、日常なのです。以前から行きたかった場所へのおでかけの道中にも、無差別テロ的にイライラしながら私は不快感の塊だなあ、と思って、でも、目的の場所について、「好き」「すてき」「いいなあ」の気持ちを胸いっぱいに満たしたら、帰り道はもう、ノンストレスマンになっているのです。寄ろうと思っていたお団子やさんが閉まっていても、じゃあ他を探してみようかな、と思うことができて、その結果おいしいたい焼きに巡り会えてハッピーエンハッピー!と、そんな風な人間になるのです。

だから、「好き」に敏感なのは、「嫌い」に敏感だからなんだな、ということ、今日気づいたこと。こう書くとなんともネガティブな印象になりますけれど、嫌い、の力に打ち勝てるのは好き、なんだなあ、という世界の摂理、的なものを掴んだぜ!と書くとものすごくポジティブな人みたい。性格も考え方も、なかなか変えるのは難しいものだから、きっとこれからも好きと嫌いをそれぞれにたくさん拾って、無意識内で中性を保とうとしていくのが私の精神バランス術なんだろうなあ。

次の春

宝塚音楽学校の合格発表のニュースを見ていて目を引き寄せられるのは歓喜に湧く笑顔や涙ではなくて、張り出された数字を見つめ続ける女の子の感情が露にならない表情で、ほんのすこし眉頭に力が入っているような、そんなぐらいしか読み取れない。ああ、苦しいなあ、と思いながら、もしも、イフ、オア、私があの場にいたらどんな表情をするんだろうと想像してみたけれど、やっぱり私も感情を露にはしないんだろうなという結果です。合でも、不でも。

実際はどうだったんだったかな、と自らの受験生時代を思い返してみたところ、そういえば私は盛大なる「合格発表」の場に居合わせられた試しがなかったのでした。

大学受験の合格発表は、雪の積もった山道を1時間以上かけて歩いて、キャンパスに着いてからも彷徨い歩いて、ようやっと掲示板を見つけた頃には人もまばらで、僅かな受験生を一団体だけ集まっていた何らかのサークルのまた僅かな先輩方が囲んでおめでとう、とやっていた白く静かな合格発表でした。サッと数字を確認して、既にその大学に通っていた姉を呼び出して短く一緒にはにかみあって、またすぐ一人雪道を踏みしめて下っていったのでした。

高校受験の合格発表は、高校へまた1時間以上かけて歩いて向かっている途中の横断歩道を渡ろうとして車にはねられて、父が迎えに来てくれた車に乗って高校へ行って、掲示板の前にはやっぱり人もまばらで、というか受験生の母親らしき人がひとり掲示板を見つめていただけで、サッと数字を確認して、それから病院へ向かったのでした。軽症だったのでさほど痛みは無かったけれど、血が出ているのと、なにやらわからん悔しさ、こんな時に車にふっとばされてしまう自分というか、一応抱えていた不安のようなものに穴が開いて一気に放出されたのか、そう、やたら悔しくて泣いたのを覚えています。涙が出ることがさらに悔しかった。合格はしていたけれど。

そういうあれこれ、のためかなんなのか、盛大なる合格発表の場は、なんだか怖いなあという気持ちがありますという話。緊張と興奮と悲しみをぶつけあっているのだろうか、みんな。

合格して通い始めた高校で、次の春、教室のベランダから玄関前の合格発表の様子を覗き込んでみた。悲喜こもごも、があちこちで溢れていてやっぱり怖かった。怖くないのかな、みんな。

いちご

親が、

仕事の関係で日曜日にこっちに来て、その仕事の関係の、余ったいちご一パックを私にくれたので、持って帰って、一日三粒ずつ食べていたんだけれど、

もう一度日曜日が来る前にいちごにはところどころ、黴が生えてしまったのでその部分だけを毟って今すべて食べ終えたところです。

さっさと食べればいいものを。とは思えない。大事な人からもらったものほど、大事に大事に食べ過ぎて、たとえば心がとても疲れた日とか、頑張って頑張って泣きそうな日とか、そういう日の夜に食べよう、と思ってとっておいたり。大事な人からもらったものは、とにかくなくならないようになくならないようにするので、賞味期限がぎりぎりになることもしばしばです。食べることにも誠意を持ちたくなる。

黴が生えてさえ、大事にしたくなる。

お前はすでに死んでいた

奥歯の銀歯が詰め物ごとゴロリと取れて、大きな穴が開きました。歯医者には3年ぶりに行きました。診察をしてもらって、レントゲンを撮って、虫歯がたくさんあるので治療が必要です。までは想像していたのだけれど、上に二本親知らずが生えているので抜きましょう。この歯とこの歯は神経を抜いてありますね。驚きの爆弾が二発、どん、どんと。半分以上埋まっている歯があるなあ、と思ってはいたけれどまさかお前が巷で噂の親知らずという奴だったとは。あと神経抜いてあるって何。覚えがない。治療はしたけど神経を抜かれた覚えはない。私の知らない間に二本の歯がすでに死んでいた。もしくは私が話を聞いていなかったのか。時折ある、病院だとか歯医者さんだとか、先生、に対峙する場所に行くと心が浮足立って、聞こうと思っていたこともなかなか聞けないし帰り道でわんさか疑問が湧いてくる結果になる、軽い心の金縛り。

 

そうことで、歯医者通いが始まりまして。週に2回通う。麻酔を刺されて歯を削られてなんやかや。矯正の相談にも行くことになりました。麻酔を打つと本当に感覚がなくなるんだなあ、と数年ぶりに味わってもまた新鮮に不思議な感じがして、唇をぶにぶにと噛んだり舐めたりして帰る。唇をうまく閉じられないような気がして夕飯のカレーうどんが上手に食べられなかった。通っている歯医者には男の先生が一人と女医っぽい白衣の女の先生が一人と助手っぽい女の人たちがいて、治療をするのは男の先生。気だるげでいつも煙草のにおいがするけれど目を見て話してくれる。女医っぽい人は胸元バーンミニスカどーん眼鏡に巻き髪ざばーんという風でザ・女医を体現しているため目のやり場に困るけどこないだ直視してみたら案外顔面の施しは地味に抑えていて逆に、逆に驚いた。そんなもんだからまあ、個性的な感じがするけれど目を閉じて麻酔の効くのを待っている間にもそういった皆さんが頭の上で左のC7がうんたら、これは駄目だな、次回はここをやるよ、等々記号のような会話を投げ合っているので異世界に連れてこられた宇宙人のような心持ちです。

 

歯医者通い6回目、左上の親知らずを抜きました。麻酔を4回も打って体を騙します。こんなに頻繁に麻酔を打って大丈夫なものなのか。ともあれ麻酔が効いたら、すぐ抜きはじめ。麻酔を打ってるけど抜かれる、と思うと恐怖が痛みになるようで、自分の脳もあまり信用ができない。麻酔を打ってるけど麻酔の効いていない唇を思いっきり引っ張るのでそれが痛い。叫ぶほど痛んだらどうしようドキドキ、としていた数分のうちに私の一番奥の歯は引っこ抜かれていました。こんなに短時間なのか。こんなに力づくなのか。驚きがたくさんです。さてさて、これから私の口内に何が待ち受けているのか、こうご期待。できない、恐怖と不安だらけである。