月夜のダンゴムシ

吐いてためる

はじめてのかかんき

先日初めて過換気症候群というのを発症したのでその記録。

その日は東京に来ていた父母と、二人がお世話になっているお医者さんご夫妻との食事会に同席する予定でした。

 

前日は一日、電車で片道三時間かけて講演会を聞きにいって、知らない人だらけかつアウェイみを(勝手に)感じる空間にしんどくなって脱走するみたいに帰ってきて、その時点で精神的にも体調的にもだいぶと下り坂。翌朝は昼前に母と待ち合わせの予定だったので、早起きして履歴書を書くも何度も何度も書き損じて出発時間に間に合わなくなりパニック発動、一度外に出て大丈夫大丈夫って言い聞かせてなんとか書き終えて、電車の揺れが気持ち悪い…ってなりながらも待ち合わせへ。予定より2時間も遅れてしまった申し訳なさで泣きそうだったけれど、母と、たまたま合流した妹の顔を見ると安心して、気持ちも落ち着く。お昼を食べて、観光をして回る。この日は最高気温が18度で、台風みたいな雨風に晒されて震える。夕方に近づくにつれ、夜の食事会に間に合わせなくちゃ、という緊張感がだんだん比重を増して、帰宅ラッシュの電車に1時間、寒さと電車の充満した湿気と慣れないヒールでぐんと体調が悪くなる。「もっとうまいこと乗り継ぎを見つけられたら」「もっと計画的に行動できてれば」「そもそも待ち合わせに遅れなければ…」みたいなことで頭がいっぱいになり、メンタルがごろごろ転げ落ちる。

 

というコンディションで父と、お医者さんご夫妻と合流。ご夫妻とは初対面で、私は店に向かう時点ですでに車酔いをしていて、だけど絶対に失礼をしちゃいけないし失敗をしちゃいけないし嫌な思いを誰にもさせちゃいけないし、という強い気持ちで挑む。

上品なお店で高級な料理をいただく。聞きかじったテーブルマナーを必死で思い出しながら奥様の所作を盗み見てナイフとフォークでお食事。あんまり口にしたことのないような食材ばかりで、ずっとびっくりしてる。とても美味しかった。お店の方々もとてもプロフェッショナルで所作もサービスも素晴らしかった。私はほとんど会話には参加しなかったけれど、表情でリアクションをいっぱいして、常に微笑みを絶やさないようにしていた。つもりだけどできてたかどうかはわからない。(通常営業で怒ってる?って言われることが多いから)

この日は父母の記念日でもあり、ご夫妻は様々に父母を祝ってくれた。娘としてもとても嬉しくて、夢みたいです、とうっすら涙を浮かべている母を見てなんてありがたいことだろう、と感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

たっぷり食べて、感激の気持ちで車に乗り込む。車酔いと具合の悪さが相まって食事終盤から気持ち悪くなっていたけれど、最後まで完璧に良い娘でありたい、最悪駅のトイレに駆け込めば大丈夫、と自分を励ましながら車に揺られた。でも、30分の道のり、すぐに気持ち悪さが強くなってくる。背もたれから体を起こせなくなって、呼吸が浅くなってくる。視点が定まらなくなる…というか、あれ、どこを見れば気持ち悪いのが和らぐんだ、って思いながらぐるぐる視点がぶれる。あとちょっと、あとちょっと、って思ってたけど車内の会話に相打ちすることもできなくなって目を閉じる。吐き気と共に、手と足が痺れ始める。初めは指先だったのが、すごい勢いでと手の平、腕までしびれてくる。そのうち下腹部から胃のあたりまでも痺れる。痺れながらぐううううって圧をかけられている感じ。シートにはりつけされてるみたいになって動けない。眩暈がして、その時に隣にいた母が私の異変に気付く。どうしたの、と聞かれて「しびれて、はきそう」くらいの単語を絞り出すので精一杯。そうして言葉にした瞬間に吐き気がぶわっと上ってきて、車が停まると同時に転がり出てすぐに嘔吐。ノンストップで3、4回吐く。そうしたら気持ち悪さはすうっと引いたけど、母が差し出してくれたティッシュが持てない。指が広げられない。おわん型になっている手を、自分の意思で動かせない。吐き終わって父に背中をさすられながら呼吸するうちに、痺れも引いていって、指が動かせるになる。金縛りが解けたような感覚だった。

心配して降りてきてくれたご夫妻に水やティッシュを貰う。吐いた後の処理を父母がしてくれる。ご夫妻に何度も頭をさげて別れる。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。それから、両親に支えられながら駅に向かい、トイレで口をゆすいで少し回復した。一人でも歩けるようになり、電車の時間を調べたり、両親への気遣いもできるくらい落ち着きを取り戻す。吐き気はまだ残っていた。少し休んでから、両親と電車に乗り込む。途中でテーマパークからの帰りであろう人たちがたくさん乗り込んでくる。みんなキラキラの粉が残ってるみたいに見える。私達親子三人は、その向かい側にしんみりと並んで座っている。私は、私のせいで父母の記念日も、ご夫妻のご厚意も、素敵な夜も全部台無しにしてしまったことが、苦しくて、悲しくて、ティッシュに顔を押し付けて涙を吸い取らせていた。私が泣いたら父母ももっと悲しくなるから、どうにかごまかしたかった。私さえいかなかったら、絶対、絶対最高に素敵な夜になって、父と母は夢心地で、ご夫妻も満足をして、最高の思い出だけが残ったはずだった。知らない人と過ごすとしんどくなるの、わかってたんだから、もっとちゃんと断るべきだった。そもそももっと良いコンディションを作っておくべきだった。自分を責める言葉しか浮かんでこない。それでも不思議と表向きは取り乱さずにいられた。もっと気持ちがどん底に落ちると思っていたけれど、父母が側にいるからなのか、防衛本能的なものが働いたのか、薄いフィルターの向こうでひたすらに自分を責めている自分が居る、みたいな感覚だった。父母が背中をさすってくれて、冷たくないか確かめるように手を握ってくれて、とても安心した。

父と母をホテルの最寄りで見送ってから、ひとりで電車に乗った。平日の夜でもそこそこに乗客がいて、時々ティッシュに顔を埋めながら帰った。母が私に無理をさせたって思って自分を責めていないかが心配だった。人が多くて座れない電車は見送りながら、2時間かけて家に着いた。全部吐いちゃったからお腹はぺこぺこだったけど、まだ吐き気があって、また吐いちゃわないうちに横になった。

 

そんな感じの顛末でした。翌日も一日中気持ち悪さが残っていたけれど、吐くまではいかずに済みました。

車酔いは小さい頃からしょっちゅうだったけど、吐くまで行くのはここ何年も経験していなかったし、手足と胸があんなふうに痺れたのは初めてだったので、自分の体が自分で動かせなくなっていくのがとても怖かった。お医者さんと父が「カカンキかも」と言っていて、帰って調べたらその通りの症状だった。精神的に不安を抱えている人、精神疾患のある人は陥りやすいという風に書いてあった。

原因はなんだったかな、というのを考えてみると、元々の体調の悪さと車酔い体質っていうのもあるけれど、長時間の連続した緊張状態と、落ち込みの坂を下っている最中に張り切って頑張ろう!ってしちゃったこと、プラス、走行中の車っていう逃げられない閉鎖空間、だったのかなあと思います。

こんな感じになるんだなあっていう驚き、というか、私結構弱ってたんだなあ、というのが悲しかった。それよりもっとずっと、両親への申し訳なさの方が大きいけれど。

とりあえず、嘔吐物を固められるエチケット袋的なものを買ったのでちょっと安心です。またお守りが増えた。気分の波だけじゃなくて、緊張を避けるとか、コントロールと回避の能力を身に着けていかなくちゃいけないなあ、と思ったのでした。おしまい。

可愛いをごくごくと補給していたい

昨日はモーニング娘。’19さんの武道館コンサートに行ってきました。

初めてのモーニングさんのライブであり女性アイドルのライブでありずっとひたすら可愛くてかっこよくて胸がいっぱいになった。前日まではめちゃめちゃ楽しみで当日は会場に向かう道すがらだんだん不安と緊張の方が大きくなってきてこのまま帰ろうかと思ったけどえいやって会場に入った。場内で流れていたのがまさかのGLAYさんの「春を愛する人」で、なんで!?!?幻聴!?!?!?と驚きながらも私的には十数年前にGLAYさんのライブで来て以来の武道館だったからそういう廻り合わせにちょこっと不安が和らいだ。コンサート中はめまぐるしく変わるメンバーの表情とダンスを必死で追いかけていたら他のこと何も考える余裕もなくって、可愛いにひたすら没頭する時間を過ごせました。立ってただけなのに筋肉痛。

 

テンションが上がるとすなわちその後は激しく下がるのが通例なので今回もひやひやしていたのですが、今日は思ったほど落ちなくて一安心しています。興奮はしてたけど集中もしてたからなのか、なんなのか、モーニング娘。’19さんが可愛いからなのか。

あと今日ふと気づいたのは、ひとりで、未知の場所へ、思い切って飛び込むことができたなあ!という充足感で。いろんなグループのいろんな子を可愛い~!って目で追いながらもハードル高いなあって思って越えられなかったコンサートに行くというハードルをこのタイミングと状況で越えられたのはちょっと勇気。ただ楽しんだだけなんだけど、そうやって肯定をしたいと思います。

(そしてこういう時に「働けよ!」と心で自虐ツッコミを入れてしまいがちなんだけどそれも気を付けて抑えたいと思う…自分は自分の味方でいてやらなきゃいかん、ということに最近気づいた)

 

「可愛い」で満たされることって私にとってほんとにほんとに大事なことなんですよね。心の師匠しいたけ.さんも「おうし座は可愛いを補給してエネルギーを回復するよ」的なことをね、書いていらっしゃいましたけれども、ほんとにそうだなあと思う。落ち込みがひどくて無気力でどうしようもないなって思って、それでも明日も仕事にいかなきゃいけないなって日に、まあぐったり寝ちゃったりごろごろしながら呻いたりすることのほうが多かったけれど、気力振り絞ってモーニングさんとかでんぱちゃんのMV再生したら「可愛い」で頭が満たされてふわっと心の漬物石がその間はどっかにいっちゃう感じがしていた。あの多幸感っていったいなんなんだろう。アイドルの生み出すキラキラを見ているとこの世界のすべてを肯定したいみたいな気持ちになる。常時世界を睨み付けてるみたいな私でさえ!すごいなあ、すごいなあ。

好きなものを好きって思う気持ちとか、素直にときめく気持ちとか、そういうものは死ぬまで抱きしめていたいもの。

病気なのどうなの

心療内科に通ってはいるものの、今のところ薬物治療もカウンセリングもしてないし、

波が酷くなるのは月に数日だし、

辞める前は自分的に支障はありつつも仕事ができていたのだし、

私はやっぱり「病気」というほどではないんじゃないの?

っていうのはずっともやもやと思っていることだった。

そういう気持ちが強かったからなかなか病院に行こうと思わなかったのもある。

 

今日、細川貂々さんの『やっぱり、それでいい』という本をぱらぱらと読んでいて、

「症状があらわれることで仕事や社会生活を続けることに支障が出てきたら病気」みたいな一文に出会った。(要約!)

すとんと腑に落ちた。私にとってはとても掴みやすい言葉だった。

今の私はたぶん、「そういう傾向が強い」と「病気」の間くらいにいるんじゃないかと思う。

 

仕事をやめて、避けられない人との関わりから解放されたら症状が軽くなるんじゃないかと思ったけれど、全然だった。わくわくした気持ちが止まらなくなっていろんな予定を詰め込んだ翌日、苦しい~って呻きながら床をごろごろしている。辞める前は、月のうちの三週間くらいは「ちゃんと働けてる」っていう事実があったのに、その「ちゃんと働けてる」の部分が抜け落ちたら自分を認めてあげられる機会が減ってしまって、細かい落ち込みに振り回されることが増えた。剥奪された感。いやいや、自分で脱ぎ捨てて逃げて来たんだけれども。

だから、中間みたいな感覚。私働けるかな?って不安もあるけど、働き出したらなんとかなるんじゃない?みたいな能天気な部分もある。

病院で「あなたは双極性障害です!ばばーん!」って全面確定宣告されたわけでもないし「これが診断書ですどうぞ!」って出されたわけじゃないし、あくまで先生が「そんな感じだと思いますよ~」なニュアンス診断なのもそういうことなんだろう。

そもそも「双極性障害」だしね?書けば書くほどわからないけど、とにかく今は、そういう病気、の傾向と断定の間にいるんだと思う。

 

もともと、小さい頃から、言葉の力というか、言葉に対する畏怖みたいなものをもっていた。特に親や周りの大人から言葉の扱いを厳しく教えられた、とかでもなくて、気づいたらそんな風にできあがっていた。

中学の頃は、「鬱だわ~」って日常会話で言う友人に怒りを覚えていた。そんな簡単に言うな!言葉の重みを考えろ!って心の中で密かに憤慨してた。

「しね」って言ったら自分に跳ね返ってきて何か酷いことが起こるように感じていた。

だから自分の頭の中でそういう言葉が浮かんで来たり、口から滑り出しそうになったら慌ててもみ消そうとしたし、独り言だとしても滑り出てしまった折には激しく後悔して泣きそうになりながらごめんなさいごめんなさいって見えない誰かに謝ってた。

だから、簡単に「病気」って言っちゃいけないんだと思ってた。

「私病気かも」なんて、口にしたらだめだと思ってた。

それは、実際にその病気で”私なんかよりもっともっとずっと苦しんでいる人がいるはず”で、”その人たちに申し訳ない”からだし、”そんな風に大袈裟にすると周りを心配させるから”でもあった。私の中での、「重い言葉」のフォルダにしまってある言葉たちだった。

 

自分の状態にラベルをつけたくなるのは、その正体がわからなくてもやもやしてるのが怖いから。だけど、同じラベルがついていても程度も症状も千差万別で、思ったより安心感がない。同じラベルの人たちの経験をもとに対処法を学ぶことができるのは良い点。だけど、生き方は自分で決めていかなくちゃいけない。名前がついても答えは用意されてなかった。

もう一つ、周りの人への説明の時に、「病気です」とか「双極性障害です」っていうラベルを持ち出さないと、自分の力でどうにもならない状態に陥ってしまう、ということを認識してもらえないというのもあるのだけれど、この伝えづらさっていう点についてはまた今度書きます。

 

だから、まあ、大袈裟に書いてきたのだけれど、

性格のはみだし、くらいに捉えていた方がもしかしたら楽なのかもしれない。

元々の性格とか考え方感じ方の傾向があって、大概は自分の中でおさまっているけれど、そこからちょっとはみだしちゃって自分でうまくコントロールできない部分。

サーキットの中にめちゃくちゃきつい急カーブがあって、そこを通る時にはどうやったって遠心力で体が外側に押し出されちゃう、みたいなこと。だから、その逆らうことが難しい遠心力による影響を少しでも小さくするために、カーブが近づいてきたら出来る限りスピードを緩めるとか、今自分がサーキットの中のどのあたりを走っていてもうすぐカーブがくるなというのを把握するとか、そうやって対処法を編み出していくのが、必要なことなのかもしれない。自分はドライバーであり、ピットにいるブレーンでありメカニックでもあるのです…(鈴鹿に想いを馳せる)

合ってるかわからないけどしばらくそんな風に考えてやってみる。毎日が試してはガッテンする繰り返しですね。

大脱走

今日から無職になりました。

たっぷりあると思った有給休暇の日々は光のように過ぎ去りて、満足に準備もしないまま大海原にざぶんと飛び込んでしまったような心持ちです。心持ちというか現状まさにそんな感じ。この先どうやって生きていくのか、自分はどんな風に働いていけるのか、自問自答しながらその方向を定めるための二か月間、のつもりだったのだけれど、ぜんぜん、なにも、定まっていない。

 

私は迷いやすい人間だと思う。お店でメニューを見て、呼び鈴を押して店員さんが来てご注文お伺いします、の瞬間まで何を頼むか迷い続ける。100円均一での買い物でもどっちを買うのがいいだろう、いや果たしてこれは必要なのか、とうんうん迷ってなかなか進まない。あと道にもよく迷う。

些細なことでも迷って迷って立ち止まってまた戻って迷って、を繰り返す毎日だ。

 

それなのに、人生に関わる大きな決断を、自分でも驚くほどあっさり下してしまうことがある。それは大概、迷いのメーターが振り切れて、「この場から逃げ出したい!」という願望と「新しい環境に飛び込んでみたい!」という衝動ががっちりと噛み合った瞬間に訪れる。逃走願望と変化への衝動が手を繋いで、私の決断のレバーを下ろす。

 

4年前、それまでパートで勤めていた保育園を辞めたのは、このままだとここに取り込まれて身動きが取れなくなってしまうという恐怖と、まったく違う仕事をやってみたいという好奇心からだった。ここから逃げたい。新しい場所に行きたい。願望と衝動ががちーん!と合わさって、今しかない!と思ってから、周りの戸惑いを置いてけぼりに退職、上京に初めての一人暮らし、仕事探し、とぐんぐん歩みを進めた。結局は同じ職種を選んだのだけれど、はじまった新生活は環境も生活もそれまでとはまるで違うものだった。初めの半年は心細くて寂しくて辛くて毎晩ぐすぐす枕に涙をしみこませた。体重も10キロ近く落ちて、帰省のたびにげっそりしたんじゃない?と家族にも友達にも心配された。

それでもなんとか調子を掴んで、順風満帆ではなかったけれど、働き続けることができた。それから4年が経った今、再び仕事を辞めることにした。今度は保育士という職業自体からの逃走であり、新しい自分、という変化を手に入れるための決断だ。ああ、なんか書きながら夢見がちすぎてぞわぞわする。文字にすると、これでよかったのかなって不安になる。そのたびにこれでよかったよ、って自分に言い聞かせる。これでよかったのかわかるのはもっと先の話だろうけれど。

8年近く保育の仕事をして、それでもやっぱり向いてないと思った。できるところまではやったんじゃないかな、と思った。そううつ病と診断されて、今逃げ出さなかったら、この症状が酷くなっていくんだろうなというのだけ、それだけは確信があった。だから今、ちゃんと逃げよう、と決めた。

 

4年前だって後先考えずに飛び込んで苦しんだのに、また同じようなことを繰り返しちゃうのはなんなんだろうって思うけど、やっぱりそれは「新しい自分」にいつだって期待してるからなんだろう。新しい場所で、今よりももっと良い自分になれる。やっぱり夢見がちだ。だけどそんな夢を見られるから、絶望しないで今生きることを続けていられるんだと思う。

それに、環境を変えたら自分も変われる、というのはあながち嘘じゃない。変化の中では否応なく努力が必要とされるから。変化しなきゃ生きる軌道を手に入れられないから。

 

逃げた先に何があるのか、まだ片鱗さえ見えていないけれど、自分で迷って、自分で決めたからこれでいい。そういうことにしておく。犬かきして、流木にしがみついて、新しい島に辿り着く。ぜったいに。ぜったいにだ。

 

道端のレジ袋が猫に見える問題

道端のレジ袋は猫に見えるし、灰色のカバーを掛けられたバイクは人かと思う(これは夜道に限る)。

目が悪いからなんですけど、とっさの判断力とか、状況を見る力とか、そういうの、の無さも含まれてるんじゃないかしら、と思う。

というのも今日、オレンジ色のコンクリートミキサー車を後ろから見て「劇団四季のライオンキングをモチーフにした幼稚園バスかな?」と思った自分に自分で引いたからなのでした。

瞬時に「いやいやありえないでしょ!」とツッコミを入れられるのであれば、猫に見えようが人に見えようが劇団四季のライオンキングに見えようがまあなんとかセーフだ、たぶん。でも「今どきの幼稚園バスは個性的だな~…」としばらくぼんやり思っていたので近づいてあ、これはコンクリートミキサー車だ、と気づいた時のショックが大きかった。

劇団四季関係者専用幼稚園の送迎バスならいざ知らず、一般の幼稚園バスでライオンキング装飾は、ない。あったとしても後ろに顔がくるのは前衛的すぎる。もう今これ何を書いてるんだろうって思っている。なんだよライオンキングバスって。でもシンバに見えたんだよ。ほんとだよ。

 

一般常識とか当たり前を選びとれる判断力、のある地平から宙に浮いて思考がどっか漂ってっちゃってる時にそうなるんだろうな、と思う。そして私も思考が漂いがちサイドの民。サイドとか言ってるけど、そういう経験、しない人っているんだろうか。いつも現実の地平に足をつけている人。いつの日も現実から一時たりとも目を離してはならんぞ、っていう人…。何を書いてるんだろう。オチないよ。

迷子vol.5833

方向音痴の人ほど堂々とフィーリングで進む

っていうのはあるある?あるあるですか?

私は方向音痴の気があります。こっち!と思って進んだ方は大概間違ってます。

地図を読むのも苦手です。

だから初めて行く場所は、前日と出発前にぐーるぐるマップで入念にルートを調べて、進み方を文章でメモ(3番出口を出て右、二つ目の横道を曲がって道なりに進み、高架下を突っ切る)しておきます。そうしないと不安で寝れなかったりする。

そのくせ現地に着くとよし!いくぞ!ってしょっぱな違う角を曲がってもりもり進んじゃったりするのです。10分くらい歩いて、あれ?ってなってからようやくスマホで現在地を確認して白目を剥く。

地図を見るのがめんどくさいな、って思っちゃうのもあるんですけど、調べたから大丈夫!っていう自負がおそらく過剰な自信になってフィーリングを信じちゃうんでしょうね。

 

というわけで今日は「フィーリングで道を間違えてもりもり進む」を3回もやってしまいました。あわせて30分くらいプラスで歩いた。そのうち2回は通ったことのある道だったのに間違えた。蒸し暑かったのでよけいとへろへろになった。

迷子、と言わないまでもこれまで何回道を間違えたんだろうか。母曰く、私は幼い頃気がついたらどこかに行ってしまって、探しに行かないといつまでも帰ってこない子だったらしい。確かにこの道迷いにはそういう要素もあるかもしれなくて、なんとなくこっちの道の方が好きだな~とか、そんな印象に引っ張られてることがあるよな、って今気づきましたであります。

 

道を間違えて間違えて、おまけに渡る信号とか歩道橋のチョイスも失敗に失敗を重ねて、そうなってくるともう「私は間違った選択ばかりをしてしまう…私の選択はいつも間違ってる…」っていう思考に頭が支配されてしまうので、「今日あったいいことを思い出しましょう!いつも混んでるレジがそこそこ空いてた!おいしいプリンを食べられた!」という抵抗を繰り広げた帰り道でした。

それでもやっぱり、メンタルがよわよわ~っとなってくると、ラッキー備忘録の力も弱まってきてしまいます。

そこで今日編み出したのは、私の中のリトル村上信五さんに跳ね飛ばしてもらおう作戦。

ダンゴムシ関ジャニ∞さんのファンなので、よわよわ~の時に大好きな大好きな安田章大さんを精神の内に降臨させ、私の中のリトル安田さんから慰めや励ましの言葉を掛けてもらうことによって心を癒す、という手法はすでに取り入れているのですが(それってもはやほぼ自分、ということは気付かなくていいです)、実際に起こったこと以上に失敗のネガティブが膨らんでるな、という時にはバシッと豪快に跳ね飛ばしてくれる村上さんに降りてきてもらうのが元気になるという発見。ツイッターでもたまにおみかけします、心の中のマツコさんや心の中の修造さん。そういうやつです。

私「なんでいつも選択を間違えちゃうんだろう…」

リトル村上さん『そんなんたいした間違いとちゃうわ!道間違えたかて死なへん!それより予定より多めに歩けて健康にええことしたな!』

私「でも道を間違えてなかったらもっと他のことに時間使えたかも…」

リトル村上さん『そんなんたかがしれてるて!それに今日間違えて進んだ先で薔薇園見つけたやろ?めっちゃ綺麗やったやん!』

私「たしかに…」

リトル村上さん『これで前よりあっこらへんの地理に詳しくなったな!よっしゃよっしゃ!』

 

すごいいい感じ!

この策を私の中の薬箱に入れて置こう…

(いろんなものを入れ過ぎて私の中、散らかり放題、問題の発生)

そううつちゃん2 病院へGO!

〇時なら空いてますよ~って言われて予約入れるのに、行ったら毎回30分くらい診察待ちになるのはなんでじゃろ~って思っている。同じ時間に何人も予約入れてるな?…なんで?って考えてるうちに呼ばれてうやむや。

 

病院に行くのは最終手段だ、と思っていたので、何かがおかしいな、と自覚してから受診するまで一年かかりました。心療内科って何をするんだろうみたいな怖さもあった。

行こうと決めたのは今年の1月で、仕事を辞めた後もこの状態を繰り返すのは嫌だな、新しい生活に進めないんじゃないかな、という不安が浮かんだからでした。

ツイッターで絶望~~ぐぬぬ~~みたいなことを呟いていた時に、フォロワーさんから「病院に行ってみたらちょっと気が楽になるかもよ」と言われて、なるほど、受診することにそこまで思い詰めなくてもよいのかもな、と思えたことも、後押しになりました。

なにより、この状態に名前がついたら楽になるかもしれない、という気持ちがありました。

 

とはいえ、最初は婦人科に行ったのです。PMS、もしくはPMDDなのでは、と思っていたから行ったのです。が、生理が来てもおさまらないなら違うわよ、気になるなら心療内科へ行きなさい、ということだったので、翌日心療内科デビューを果たしました。

待合室にいる間は、思い当たっている症状や自分の状態をめいっぱい書いたメモを、お守りみたいに握りしめて不安をやりすごしました。

先生は、話し方が落ち着いていて、私がイスに座るなり泣き出しても、宥めたり介入したりせずに、最後までじっくりと話を聞いてくれました。病院に来てみたはいいものの、ここで少しでも否定されたらたぶん、もう何を頼ることもできなくなるな、みたいな重めの気持ちでいたので、聞いてくれたことで少し安心できたように思います。涙で顔がびしょびしょになってたら先生が慌ててティッシュを探しにいってポケットティッシュを持ってきてくれて、緊張が和らいだ。

しかしまあ自分でも驚くほど涙がとまらず、自分の抱えているものを話すというのはこんなに感情がゆさぶられて、気力と体力を使うものなんだなあと知りました。

 

一通り話し終えると、落ち込む前にテンションが上がるのが気になるな、そううつ病かもしれないね、と言われました。先生がその場で説明してくれたのは、上がって下がる波を繰り返すものです、というくらいで、自分で症状を調べてごらん、当てはまるなと思ったらまた教えてね、と言われて、その日の診察は終わりました。

帰ってから調べてみて、ああ、すごく当てはまっていますね、と思ったのと、画面に並ぶ「再発率が非常に高い」「一生付き合っていくものです」の文字に目の前が真っ暗になるような心地がしました。

名前がついたら楽になる、と思っていたのに、全然楽にならない!

落ち込みの底からほんのり浮上を始めた、くらいで受診したので、そのことでまた数日は落ち込みが続きました。

 

だけど、しばらくして回復してくると、ネットの記事を参考にしながら対処法を考えるようになりました。それまで躁の状態に意識を向けたことがなかったので気付かなくて、私絶好調!どんどん仕事持ってこいや!!状態を自ら招いていたけれど、そこでブレーキを掛ければ落ち込みとの落差が小さくなるんだな、ということで、(どのタイミングでハイが来るかわからなかったけれど)おっとテンション抑えよう、と気を付けるようになりました。

ほどなくして二度目の受診、自分でも当てはまるなって思ったので、こうやって過ごしてみています、と伝えたら、とてもいいですよ、と褒められて嬉しかった。女性の不定愁訴に効くとされる漢方に併せて、どうしても落ち込みが酷い時のための薬も処方してもらって、当面飲む勇気はでなかったけど、お守りとして持ち歩くことにしました。

通院の間隔を一週間後、二週間後と伸ばしていって、自分の状態や変化を報告しながら、幼少期に気になるところはなかったか、カウンセリングに移るかどうか、ということを話しました。つい先日は、躁鬱の波を小さく抑えていく薬での治療に移るかどうかの話をして、どうしても精神症状に対する薬は飲むのが怖いから、また働き始める時のことも念頭に置きながらもう少し、自分なりにできる対処を試してみたい、という私の意思を尊重してもらい、当面は漢方のみを続けることになりました。

(診察室出た一秒後に後悔したけど…症状が小さくなるなら早くなるに越したことないのに、なんで躊躇しちゃったんだろう…ってめちゃめちゃ思ったけど…)

 

私の行った病院は、先生ひとりに受付の方が一人、というとてもこじんまりとしたところで、忙しそうではあるけどばたばたとはしてなくて、待合室にはいつも2、3人診察待ちの人がいます。

先生は押しつけがましかったり、強引に話を進めたりすることはなくて、でも過剰に褒めたり励ましたりもしなくて、威圧感もないです。

病院という空間、お医者さんの前に出ると緊張しちゃって、伝えなきゃと思ってたことの半分も伝えられなかったり、なかなかその場での判断ができなくて後からすごく後悔したり、というのが心療内科に限らずあるのですけれど、

だから、もうちょっと強く導いてくれてもいいのに!と思うこともあるけれど、言葉で説明しきれないいろいろを加味して判断できるのは自分だけだなあとも思うのです。

どうしますか?と聞いた後は私が判断するのをゆったりと待ってくれて、わからないことは丁寧に答えてくれる先生だから、ビビりですぐテンパる私でも通い続けているのかなあ、と、思います。

先生との相性、病院との相性というのも、結構に大切なことですね。でも行ってみないとわかんないし、ネットの口コミなんかもそんなに多くはないけれど、最低限自分が絶対にやだと思うこと(声を荒げるとか、高圧的だとか)が評判に含まれていないところを選ぶのがいいのかもしれませんね。

おわり