つきよのだんごむし

一応軽度の「双極性障害」でどうやらHSPでアイドルを心の糧に社会人やってるだんごむし

そううつちゃん

双極性障害だそうです、私は。

いわゆるそううつ病です。

とはいえ大きな波に飲み込まれるのはひと月の内一週間ないくらいで、そのうち鬱状態は続いても2、3日、それ以外の期間は生活にも仕事にも支障がない程度です。

でも仕事は辞めました。

次の働き方も今後の生き方もなーんも決めてません。

今は有休消化中で、もうじきそれも終わります。仕事に行かなくなってからは、一日一回は外に出よう、というくるぶしくらいのハードルだけ設けて生きてます。

 

何かちょっと変かもしれない、と思い始めたのは一昨年の12月、心療内科に通い始めたのは今年の2月で、おおよそ一か月~一か月半に一回のペースで通院しています。

基本的に漢方(加味逍遙散)を飲んで過ごしています。効果はいまのところよくわかんないです。落ち込みが酷い時用の薬も処方してもらったのですが、一度飲んだ際逆に気持ちが跳ね上がりすぎてしまったのでそれから飲んでいません。薬での治療に切り替える打診も受けましたが、やっぱりまだちょっと怖くて踏み切れずにいます。

期間も短いし症状も軽いから、もしかしたら思い込みなんじゃない?とか、ちょこっとそういう傾向があるだけなんじゃない?とか半信半疑の節もあったけれど、まあ、やっぱり、そうなんだということだそうです。

 

現状おわり!

病院に行こうと思ったきっかけだとか、

周りに伝えたときにどうだったかとか、

そういうのを記録していけたらいつか自分か誰かかの役に立つかなと思うので

ちょっとずつ書いていこうと思います。

おわり

暴 風 雨

暴れる風と雨、という表現はまさにこのことだな、とどこか他人事のように思いながらしっかりと浸水したスニーカーをじゅぶじゅぶ鳴らし歩いた一日でした。強烈な雨と風が原因で被害を被った方やお店のニュースを見ながら自然災害、というものの範囲が広がってきているのを感じます。人類の技術は進歩していますねっていう共通認識と反比例するように、自然の力の強大さを思い知る機会が年々増える。大人、という責任を背負うようになったからなおさら無力感を味わうのかもしれない。

そんな具合で、全身、とまではいかなくても体の三分の二ほどをじめっとさせながら過ごした昨日でしたが、じゅぶじゅぶと歩く感覚は学生時代によく味わっていたなあと懐かしい気持ちにもなったのでした。自転車なら30分の道のりを雨や雪で塞がれた日、朝はバスを利用しても帰りは大概歩くことを選んで、スニーカーがじゅぶじゅぶになることも割と日常茶飯事だった。冬なんかは靴の中に溜った水が逆に温かかったなあ、なんてことを思い出すけれど、「あとは帰るだけだから」という言葉ひとつで不快感を透明にする力を持っていたなああの頃は、なんて風にも思う。あとは帰るだけ、であれば全身びしょぬれになってもまあそれほど大したことじゃない、みたいなメンタリティは性格のどういう領域から派生したものだったんだろうな。

そして驚いたのは、暴風雨の中でも傘を差さずに歩いている人が一定数いるということだった。中にはギターケース(しかもソフト)を担いでいる人もいて、も、猛者よ…!と心の中で目をキラキラっとさせながら前を行くその背中を見ていた。ああいう姿を見てSAMURAI的なかっこよさを感じるというのは、そこにその人の諦観と意思、みたいなものが滲んで見えるからだろうか。とか、そんなことを考えながら、後ろの私は傘がひっくり返らないように必死になっていた。

小学校の頃、台風が来て、姉と喜び勇んでカッパを来て外に飛び出し、T.M.Revolutionごっこをしたり、この風雨の中自転車をこいで進めるのか、という実験をしたりしたなあ、とか。友達と一緒に全身びしょぬれになっちゃったのが妙に爽快で愉快で大笑いしながら帰ったりしたなあ、とか。いろんな記憶が掘り起こされる雨の一日でした。
帰宅後靴下を脱いだら生まれたてのいきもの然とした足の裏になっていた。しわしわ。ごめんね足の裏。

ブランニューわたし

ちまちまとブログを書いていてやめてから二年ほどたって、そういえばブログでも書こうと思い出して書き始めた二年間の間にはそれはもういろんなことがありしたけれど、私自身としてはあまり変わっていないんじゃなかろうか、と他人事のように思っている。引っ越しをしたし仕事を辞めたし、祖母を亡くした。ずるずると沼の底に沈んでいく毎日を阻止すべく書きましょう書いてみましょう、の気持ちで宜しくお願いします。

 

先日誕生日を迎え、生まれて初めて厄払いというものに行ってきました。どこに行けばいいんじゃろとあれこれネットでサーフィンしてみた結果、以前から「おまもりがかわいい」という理由で行きたいリストに入れていた神社が厄払いのお知らせを前面に押し出していらっしゃったので行くことにした。

平日・雨・お昼時・の境内はそれでもちら、ほらと人の姿はあって、そわそわと緊張しながら「すみません、厄払いを」と一歩踏み出せば巫女の方、淡々と穏やかに説明をする合間に小声で(声掛けてきて、今お昼食べてるから)と他の巫女さんに囁き伝える声が聞こえる。お昼時にどうもすみません、と心がしゅんしゅんと委縮する中で、お祓いに併せてお願い事もひとつ選べます、というオプショナルサービスみたいなものに則って80以上もあるお願い事項目にじっくりと目を通す。健康にまつわるものだけでも4つ5つあってなかなか選べたものではない。ようやく、これかな!と選んだ「心願成就」を指させば、それはここにあるどれにも願いが当てはまらない場合のものです、と言われ、当てはまるものがないわけではないのだけれど、そうですか、と呟いておすすめされた1番の「身体健全」を指さしていた。選んだ端から頭の中ではこれでよかったのですか問答が始まっていたけれど、選んでしまったからもう仕方がない。

待合室に通されると一人の女性が白い羽織を纏い静粛な面持ちでお待ちになっている。お飲み物をどうぞ、のマシンは故障中の張り紙がしてあった。喉が渇く。私も白い羽織をもらって、端っこにちょんと腰掛ける。目の前にはお一人ひとつどうぞ、と書かれた花の落雁があり、これは食べてもよいものか、試されておるのか私は、と思いながらも食べたいの誘惑に勝てない私はひとつをひょいと口にほおりこんだのでした。喉が渇く。

間もなくして御祈祷の間へ通される。見ず知らずの方とふたりきりでのお払いです。巫女さんの指示にしたがって、頭を下げたり、前へ進んだり、座ったり立ったりする。とても厳粛な空気だ。暗い場所から明るい神棚の方を見ているだけで気持ちがおごそかになる。シャンシャンと鳴る鈴の音は澄んでなにやら魂に呼びかけてくるようだ。この神社の厄払いではひとりひとりの名前とさっき選んだお願い事を声に出して読み上げてお祈りをしてくださる。私はなかなかファンシー寄りな下の名前を授かっているもので、自分の名前を真面目に呼ばれるとちょっと笑いそうになってしまう節がある。いまだにちょっとこそばゆいのだ。御多分に漏れず、この神聖なる場でも口から空気が漏れそうになったので唇をん、と食いしばって神妙に神妙に頭を下げていた。むふ、と口角がむずむずすることはあっても、笑うことはなかったので合格である。鳥居と神様のお社へのお参りもして、いろいろなお札などを授与されて、無事、私の厄は払われたのでした。

待合室の入り口に傘を忘れていたのを、自分で思い出して取りにいけたのでやはり幸先がいいです。神妙神妙。

真夜中のポップコーン

やるべきことが積もり積もって、瓦解を思って袋を開ける。明日の不安を、明後日の不安を、君への気持ちにまつわる不安を思って食べる。吹き出物がでるだろうかと危惧しながら食べる。故郷の父母を思い出して泣きそうになって食べる。テレビで紹介されているおいしそうなハンバーグを見ながら食べる。うまくいかないことの端から端を忘れるために食べる。食べる。足元が揺れて崩れるような未来を想像しながら食べる。食べる。食べる。食欲と幸せと、迷ってるし、苦しいし、欲望の何がいけないのか、私の欲望は何か、自覚することを放棄して食べる、ポップコーン、おいしい。

自戒のニラモヤシ

ニラがあってもやしがあったので塩コショウで炒めて、炒めているうちにあれ、これは実家でよく食べていたおかずだ、と気づいた。母がよく一品として作ってくれていた料理だった。とても安心する味がして、それと一緒に実家にいたころ、ひねくれた態度や冷たい態度、総じて悪態を、母に対して向けていたことを、思い出して、ああ私はいつかこのことをちゃんと謝ることができるだろうか。このことを、ちゃんと、感謝の言葉で伝えることができるだろうか。それから、この気持ちは、忘れちゃいけないと思った、自戒のニラモヤシ。

悲しみの誕生日

誕生日ってなにもしないでいてもハードルが上がる、誕生日をプレーンな一日として過ごすまでの心の余裕を手に入れるまでには私はまだまだたくさんの道のりを歩かねばなるまいと思った今年の誕生日、先日迎えました。

自分の誕生日パーティーなんて文化は小学生の頃に滅して以来実家にいた時はなんだかんだと家族が身近でお祝いをしてくれた誕生日。一人暮らしをして2度目の誕生日、元々なんの予定も無かったけれど、そうだ、一つ歳をとるわけだから一つできることを増やそう、と、一人焼肉デビューを果たし、一人水族館を満喫する(これはもともとの趣味)という予定をねじ込んだんだけれども、(いや、これって見る人の大半にとっては痛々しいなとお思いになられるかもしれない、そうなんだろうけど人を巻き込むほどのことでもない、という気持ちもあってそんな落としどころだったんだけれども、)どうも、そうやってなんとか脱・なんでもない日、「なんでもある日」にしたい欲を出すと最終的にじわんと落ち込んで終わるんだなあって思い知ったのでした。だっていい日にしたい思いが強すぎて、少しの嫌なことにとても落ち込んで、いいことが霞んじゃう不穏な現象が勃発。メールやSNSで「おめでとう」と声を掛けてもらえること、自分の誕生日を覚えてくれていて、それを伝えてくれるだけでなんと嬉しく有難いことか、と思うのに、その後に巻き起こるちょっとした悲しみとか惨めさ、あんまりメールが来ないなあ、とかにまつわる私はどうでもいい人間なんだ…という過剰妄想、(ということにしてやってくれ)そんな私なのに今日なんかソワソワしちゃって恥ずかしい、なんてそんな切ない感じのものたちが「特別な日」の衣をまとってぶくぶくと膨れ上がり確かに確かに感じたはずの幸せを隅に追いやって精神の中枢で我が物顔をするわけです。なんてこと。頼むから幸福を吸い込んでくれよ。そっちの方面でぶくぶくと膨れ上がって私を幸せと感謝の気持ちでいっぱいにしてくれよ。そう、切に願うんだけど、負に傾いた螺旋階段はゆっくりと倒れていったのでした。

果たして。どんな誕生日を迎えれば、私は満足するのだろうか?「たくさんの人に囲まれて生まれたことを祝われる」「自分だけの特別な素敵な何かを手に入れる」「いろんな欲を存分に満たす」ああ、考えただけで己の欲深さが嫌になってくる選択肢だね!かといって自分を生かしてくれる全てのものに感謝…みたいな自然幸福志向派みたいなこともきっとできない煩悩の私が目指すちょうどいい誕生日の落としどころは、ちょうどいいのは、

「おめでとうをありがとう、今日は好物をたべます」

くらいのところだな!という結論、来年はそんな一日を目指します。

(目指している時点でやっぱり煩悩人)

バリバリ3本

趣味が多いね、楽しそうだね、と職場の同僚や友人にたびたび言われるけれど、なんかそんなポジティブ満開なものでもないことに気付きました。私は苛立ちや嫌悪のアンテナが敏感で、イライラの種を拾いやすい性分なもので、普段生活しているともうほんとうに、それはもうほんとうに、歩けばイライラが発症しちゃうような、出会うたくさんのものたちに苛立ちや嫌悪のラベルをペタペタと探しながら歩いているみたいな、日常なのです。以前から行きたかった場所へのおでかけの道中にも、無差別テロ的にイライラしながら私は不快感の塊だなあ、と思って、でも、目的の場所について、「好き」「すてき」「いいなあ」の気持ちを胸いっぱいに満たしたら、帰り道はもう、ノンストレスマンになっているのです。寄ろうと思っていたお団子やさんが閉まっていても、じゃあ他を探してみようかな、と思うことができて、その結果おいしいたい焼きに巡り会えてハッピーエンハッピー!と、そんな風な人間になるのです。

だから、「好き」に敏感なのは、「嫌い」に敏感だからなんだな、ということ、今日気づいたこと。こう書くとなんともネガティブな印象になりますけれど、嫌い、の力に打ち勝てるのは好き、なんだなあ、という世界の摂理、的なものを掴んだぜ!と書くとものすごくポジティブな人みたい。性格も考え方も、なかなか変えるのは難しいものだから、きっとこれからも好きと嫌いをそれぞれにたくさん拾って、無意識内で中性を保とうとしていくのが私の精神バランス術なんだろうなあ。