次の春

宝塚音楽学校の合格発表のニュースを見ていて目を引き寄せられるのは歓喜に湧く笑顔や涙ではなくて、張り出された数字を見つめ続ける女の子の感情が露にならない表情で、ほんのすこし眉頭に力が入っているような、そんなぐらいしか読み取れない。ああ、苦しいなあ、と思いながら、もしも、イフ、オア、私があの場にいたらどんな表情をするんだろうと想像してみたけれど、やっぱり私も感情を露にはしないんだろうなという結果です。合でも、不でも。

実際はどうだったんだったかな、と自らの受験生時代を思い返してみたところ、そういえば私は盛大なる「合格発表」の場に居合わせられた試しがなかったのでした。

大学受験の合格発表は、雪の積もった山道を1時間以上かけて歩いて、キャンパスに着いてからも彷徨い歩いて、ようやっと掲示板を見つけた頃には人もまばらで、僅かな受験生を一団体だけ集まっていた何らかのサークルのまた僅かな先輩方が囲んでおめでとう、とやっていた白く静かな合格発表でした。サッと数字を確認して、既にその大学に通っていた姉を呼び出して短く一緒にはにかみあって、またすぐ一人雪道を踏みしめて下っていったのでした。

高校受験の合格発表は、高校へまた1時間以上かけて歩いて向かっている途中の横断歩道を渡ろうとして車にはねられて、父が迎えに来てくれた車に乗って高校へ行って、掲示板の前にはやっぱり人もまばらで、というか受験生の母親らしき人がひとり掲示板を見つめていただけで、サッと数字を確認して、それから病院へ向かったのでした。軽症だったのでさほど痛みは無かったけれど、血が出ているのと、なにやらわからん悔しさ、こんな時に車にふっとばされてしまう自分というか、一応抱えていた不安のようなものに穴が開いて一気に放出されたのか、そう、やたら悔しくて泣いたのを覚えています。涙が出ることがさらに悔しかった。合格はしていたけれど。

そういうあれこれ、のためかなんなのか、盛大なる合格発表の場は、なんだか怖いなあという気持ちがありますという話。緊張と興奮と悲しみをぶつけあっているのだろうか、みんな。

合格して通い始めた高校で、次の春、教室のベランダから玄関前の合格発表の様子を覗き込んでみた。悲喜こもごも、があちこちで溢れていてやっぱり怖かった。怖くないのかな、みんな。