つきよのだんごむし

一応軽度の「双極性障害」でどうやらHSPでアイドルを心の糧に社会人やってるだんごむし

そううつちゃん2 病院へGO!

〇時なら空いてますよ~って言われて予約入れるのに、行ったら毎回30分くらい診察待ちになるのはなんでじゃろ~って思っている。同じ時間に何人も予約入れてるな?…なんで?って考えてるうちに呼ばれてうやむや。

 

病院に行くのは最終手段だ、と思っていたので、何かがおかしいな、と自覚してから受診するまで一年かかりました。心療内科って何をするんだろうみたいな怖さもあった。

行こうと決めたのは今年の1月で、仕事を辞めた後もこの状態を繰り返すのは嫌だな、新しい生活に進めないんじゃないかな、という不安が浮かんだからでした。

ツイッターで絶望~~ぐぬぬ~~みたいなことを呟いていた時に、フォロワーさんから「病院に行ってみたらちょっと気が楽になるかもよ」と言われて、なるほど、受診することにそこまで思い詰めなくてもよいのかもな、と思えたことも、後押しになりました。

なにより、この状態に名前がついたら楽になるかもしれない、という気持ちがありました。

 

とはいえ、最初は婦人科に行ったのです。PMS、もしくはPMDDなのでは、と思っていたから行ったのです。が、生理が来てもおさまらないなら違うわよ、気になるなら心療内科へ行きなさい、ということだったので、翌日心療内科デビューを果たしました。

待合室にいる間は、思い当たっている症状や自分の状態をめいっぱい書いたメモを、お守りみたいに握りしめて不安をやりすごしました。

先生は、話し方が落ち着いていて、私がイスに座るなり泣き出しても、宥めたり介入したりせずに、最後までじっくりと話を聞いてくれました。病院に来てみたはいいものの、ここで少しでも否定されたらたぶん、もう何を頼ることもできなくなるな、みたいな重めの気持ちでいたので、聞いてくれたことで少し安心できたように思います。涙で顔がびしょびしょになってたら先生が慌ててティッシュを探しにいってポケットティッシュを持ってきてくれて、緊張が和らいだ。

しかしまあ自分でも驚くほど涙がとまらず、自分の抱えているものを話すというのはこんなに感情がゆさぶられて、気力と体力を使うものなんだなあと知りました。

 

一通り話し終えると、落ち込む前にテンションが上がるのが気になるな、そううつ病かもしれないね、と言われました。先生がその場で説明してくれたのは、上がって下がる波を繰り返すものです、というくらいで、自分で症状を調べてごらん、当てはまるなと思ったらまた教えてね、と言われて、その日の診察は終わりました。

帰ってから調べてみて、ああ、すごく当てはまっていますね、と思ったのと、画面に並ぶ「再発率が非常に高い」「一生付き合っていくものです」の文字に目の前が真っ暗になるような心地がしました。

名前がついたら楽になる、と思っていたのに、全然楽にならない!

落ち込みの底からほんのり浮上を始めた、くらいで受診したので、そのことでまた数日は落ち込みが続きました。

 

だけど、しばらくして回復してくると、ネットの記事を参考にしながら対処法を考えるようになりました。それまで躁の状態に意識を向けたことがなかったので気付かなくて、私絶好調!どんどん仕事持ってこいや!!状態を自ら招いていたけれど、そこでブレーキを掛ければ落ち込みとの落差が小さくなるんだな、ということで、(どのタイミングでハイが来るかわからなかったけれど)おっとテンション抑えよう、と気を付けるようになりました。

ほどなくして二度目の受診、自分でも当てはまるなって思ったので、こうやって過ごしてみています、と伝えたら、とてもいいですよ、と褒められて嬉しかった。女性の不定愁訴に効くとされる漢方に併せて、どうしても落ち込みが酷い時のための薬も処方してもらって、当面飲む勇気はでなかったけど、お守りとして持ち歩くことにしました。

通院の間隔を一週間後、二週間後と伸ばしていって、自分の状態や変化を報告しながら、幼少期に気になるところはなかったか、カウンセリングに移るかどうか、ということを話しました。つい先日は、躁鬱の波を小さく抑えていく薬での治療に移るかどうかの話をして、どうしても精神症状に対する薬は飲むのが怖いから、また働き始める時のことも念頭に置きながらもう少し、自分なりにできる対処を試してみたい、という私の意思を尊重してもらい、当面は漢方のみを続けることになりました。

(診察室出た一秒後に後悔したけど…症状が小さくなるなら早くなるに越したことないのに、なんで躊躇しちゃったんだろう…ってめちゃめちゃ思ったけど…)

 

私の行った病院は、先生ひとりに受付の方が一人、というとてもこじんまりとしたところで、忙しそうではあるけどばたばたとはしてなくて、待合室にはいつも2、3人診察待ちの人がいます。

先生は押しつけがましかったり、強引に話を進めたりすることはなくて、でも過剰に褒めたり励ましたりもしなくて、威圧感もないです。

病院という空間、お医者さんの前に出ると緊張しちゃって、伝えなきゃと思ってたことの半分も伝えられなかったり、なかなかその場での判断ができなくて後からすごく後悔したり、というのが心療内科に限らずあるのですけれど、

だから、もうちょっと強く導いてくれてもいいのに!と思うこともあるけれど、言葉で説明しきれないいろいろを加味して判断できるのは自分だけだなあとも思うのです。

どうしますか?と聞いた後は私が判断するのをゆったりと待ってくれて、わからないことは丁寧に答えてくれる先生だから、ビビりですぐテンパる私でも通い続けているのかなあ、と、思います。

先生との相性、病院との相性というのも、結構に大切なことですね。でも行ってみないとわかんないし、ネットの口コミなんかもそんなに多くはないけれど、最低限自分が絶対にやだと思うこと(声を荒げるとか、高圧的だとか)が評判に含まれていないところを選ぶのがいいのかもしれませんね。

おわり

そううつちゃん

双極性障害だそうです、私は。

いわゆるそううつ病です。

とはいえ大きな波に飲み込まれるのはひと月の内一週間ないくらいで、そのうち鬱状態は続いても2、3日、それ以外の期間は生活にも仕事にも支障がない程度です。

でも仕事は辞めました。

次の働き方も今後の生き方もなーんも決めてません。

今は有休消化中で、もうじきそれも終わります。仕事に行かなくなってからは、一日一回は外に出よう、というくるぶしくらいのハードルだけ設けて生きてます。

 

何かちょっと変かもしれない、と思い始めたのは一昨年の12月、心療内科に通い始めたのは今年の2月で、おおよそ一か月~一か月半に一回のペースで通院しています。

基本的に漢方(加味逍遙散)を飲んで過ごしています。効果はいまのところよくわかんないです。落ち込みが酷い時用の薬も処方してもらったのですが、一度飲んだ際逆に気持ちが跳ね上がりすぎてしまったのでそれから飲んでいません。薬での治療に切り替える打診も受けましたが、やっぱりまだちょっと怖くて踏み切れずにいます。

期間も短いし症状も軽いから、もしかしたら思い込みなんじゃない?とか、ちょこっとそういう傾向があるだけなんじゃない?とか半信半疑の節もあったけれど、まあ、やっぱり、そうなんだということだそうです。

 

現状おわり!

病院に行こうと思ったきっかけだとか、

周りに伝えたときにどうだったかとか、

そういうのを記録していけたらいつか自分か誰かかの役に立つかなと思うので

ちょっとずつ書いていこうと思います。

おわり

暴 風 雨

暴れる風と雨、という表現はまさにこのことだな、とどこか他人事のように思いながらしっかりと浸水したスニーカーをじゅぶじゅぶ鳴らし歩いた一日でした。強烈な雨と風が原因で被害を被った方やお店のニュースを見ながら自然災害、というものの範囲が広がってきているのを感じます。人類の技術は進歩していますねっていう共通認識と反比例するように、自然の力の強大さを思い知る機会が年々増える。大人、という責任を背負うようになったからなおさら無力感を味わうのかもしれない。

そんな具合で、全身、とまではいかなくても体の三分の二ほどをじめっとさせながら過ごした昨日でしたが、じゅぶじゅぶと歩く感覚は学生時代によく味わっていたなあと懐かしい気持ちにもなったのでした。自転車なら30分の道のりを雨や雪で塞がれた日、朝はバスを利用しても帰りは大概歩くことを選んで、スニーカーがじゅぶじゅぶになることも割と日常茶飯事だった。冬なんかは靴の中に溜った水が逆に温かかったなあ、なんてことを思い出すけれど、「あとは帰るだけだから」という言葉ひとつで不快感を透明にする力を持っていたなああの頃は、なんて風にも思う。あとは帰るだけ、であれば全身びしょぬれになってもまあそれほど大したことじゃない、みたいなメンタリティは性格のどういう領域から派生したものだったんだろうな。

そして驚いたのは、暴風雨の中でも傘を差さずに歩いている人が一定数いるということだった。中にはギターケース(しかもソフト)を担いでいる人もいて、も、猛者よ…!と心の中で目をキラキラっとさせながら前を行くその背中を見ていた。ああいう姿を見てSAMURAI的なかっこよさを感じるというのは、そこにその人の諦観と意思、みたいなものが滲んで見えるからだろうか。とか、そんなことを考えながら、後ろの私は傘がひっくり返らないように必死になっていた。

小学校の頃、台風が来て、姉と喜び勇んでカッパを来て外に飛び出し、T.M.Revolutionごっこをしたり、この風雨の中自転車をこいで進めるのか、という実験をしたりしたなあ、とか。友達と一緒に全身びしょぬれになっちゃったのが妙に爽快で愉快で大笑いしながら帰ったりしたなあ、とか。いろんな記憶が掘り起こされる雨の一日でした。
帰宅後靴下を脱いだら生まれたてのいきもの然とした足の裏になっていた。しわしわ。ごめんね足の裏。

ブランニューわたし

ちまちまとブログを書いていてやめてから二年ほどたって、そういえばブログでも書こうと思い出して書き始めた二年間の間にはそれはもういろんなことがありしたけれど、私自身としてはあまり変わっていないんじゃなかろうか、と他人事のように思っている。引っ越しをしたし仕事を辞めたし、祖母を亡くした。ずるずると沼の底に沈んでいく毎日を阻止すべく書きましょう書いてみましょう、の気持ちで宜しくお願いします。

 

先日誕生日を迎え、生まれて初めて厄払いというものに行ってきました。どこに行けばいいんじゃろとあれこれネットでサーフィンしてみた結果、以前から「おまもりがかわいい」という理由で行きたいリストに入れていた神社が厄払いのお知らせを前面に押し出していらっしゃったので行くことにした。

平日・雨・お昼時・の境内はそれでもちら、ほらと人の姿はあって、そわそわと緊張しながら「すみません、厄払いを」と一歩踏み出せば巫女の方、淡々と穏やかに説明をする合間に小声で(声掛けてきて、今お昼食べてるから)と他の巫女さんに囁き伝える声が聞こえる。お昼時にどうもすみません、と心がしゅんしゅんと委縮する中で、お祓いに併せてお願い事もひとつ選べます、というオプショナルサービスみたいなものに則って80以上もあるお願い事項目にじっくりと目を通す。健康にまつわるものだけでも4つ5つあってなかなか選べたものではない。ようやく、これかな!と選んだ「心願成就」を指させば、それはここにあるどれにも願いが当てはまらない場合のものです、と言われ、当てはまるものがないわけではないのだけれど、そうですか、と呟いておすすめされた1番の「身体健全」を指さしていた。選んだ端から頭の中ではこれでよかったのですか問答が始まっていたけれど、選んでしまったからもう仕方がない。

待合室に通されると一人の女性が白い羽織を纏い静粛な面持ちでお待ちになっている。お飲み物をどうぞ、のマシンは故障中の張り紙がしてあった。喉が渇く。私も白い羽織をもらって、端っこにちょんと腰掛ける。目の前にはお一人ひとつどうぞ、と書かれた花の落雁があり、これは食べてもよいものか、試されておるのか私は、と思いながらも食べたいの誘惑に勝てない私はひとつをひょいと口にほおりこんだのでした。喉が渇く。

間もなくして御祈祷の間へ通される。見ず知らずの方とふたりきりでのお払いです。巫女さんの指示にしたがって、頭を下げたり、前へ進んだり、座ったり立ったりする。とても厳粛な空気だ。暗い場所から明るい神棚の方を見ているだけで気持ちがおごそかになる。シャンシャンと鳴る鈴の音は澄んでなにやら魂に呼びかけてくるようだ。この神社の厄払いではひとりひとりの名前とさっき選んだお願い事を声に出して読み上げてお祈りをしてくださる。私はなかなかファンシー寄りな下の名前を授かっているもので、自分の名前を真面目に呼ばれるとちょっと笑いそうになってしまう節がある。いまだにちょっとこそばゆいのだ。御多分に漏れず、この神聖なる場でも口から空気が漏れそうになったので唇をん、と食いしばって神妙に神妙に頭を下げていた。むふ、と口角がむずむずすることはあっても、笑うことはなかったので合格である。鳥居と神様のお社へのお参りもして、いろいろなお札などを授与されて、無事、私の厄は払われたのでした。

待合室の入り口に傘を忘れていたのを、自分で思い出して取りにいけたのでやはり幸先がいいです。神妙神妙。

真夜中のポップコーン

やるべきことが積もり積もって、瓦解を思って袋を開ける。明日の不安を、明後日の不安を、君への気持ちにまつわる不安を思って食べる。吹き出物がでるだろうかと危惧しながら食べる。故郷の父母を思い出して泣きそうになって食べる。テレビで紹介されているおいしそうなハンバーグを見ながら食べる。うまくいかないことの端から端を忘れるために食べる。食べる。足元が揺れて崩れるような未来を想像しながら食べる。食べる。食べる。食欲と幸せと、迷ってるし、苦しいし、欲望の何がいけないのか、私の欲望は何か、自覚することを放棄して食べる、ポップコーン、おいしい。

自戒のニラモヤシ

ニラがあってもやしがあったので塩コショウで炒めて、炒めているうちにあれ、これは実家でよく食べていたおかずだ、と気づいた。母がよく一品として作ってくれていた料理だった。とても安心する味がして、それと一緒に実家にいたころ、ひねくれた態度や冷たい態度、総じて悪態を、母に対して向けていたことを、思い出して、ああ私はいつかこのことをちゃんと謝ることができるだろうか。このことを、ちゃんと、感謝の言葉で伝えることができるだろうか。それから、この気持ちは、忘れちゃいけないと思った、自戒のニラモヤシ。

悲しみの誕生日

誕生日ってなにもしないでいてもハードルが上がる、誕生日をプレーンな一日として過ごすまでの心の余裕を手に入れるまでには私はまだまだたくさんの道のりを歩かねばなるまいと思った今年の誕生日、先日迎えました。

自分の誕生日パーティーなんて文化は小学生の頃に滅して以来実家にいた時はなんだかんだと家族が身近でお祝いをしてくれた誕生日。一人暮らしをして2度目の誕生日、元々なんの予定も無かったけれど、そうだ、一つ歳をとるわけだから一つできることを増やそう、と、一人焼肉デビューを果たし、一人水族館を満喫する(これはもともとの趣味)という予定をねじ込んだんだけれども、(いや、これって見る人の大半にとっては痛々しいなとお思いになられるかもしれない、そうなんだろうけど人を巻き込むほどのことでもない、という気持ちもあってそんな落としどころだったんだけれども、)どうも、そうやってなんとか脱・なんでもない日、「なんでもある日」にしたい欲を出すと最終的にじわんと落ち込んで終わるんだなあって思い知ったのでした。だっていい日にしたい思いが強すぎて、少しの嫌なことにとても落ち込んで、いいことが霞んじゃう不穏な現象が勃発。メールやSNSで「おめでとう」と声を掛けてもらえること、自分の誕生日を覚えてくれていて、それを伝えてくれるだけでなんと嬉しく有難いことか、と思うのに、その後に巻き起こるちょっとした悲しみとか惨めさ、あんまりメールが来ないなあ、とかにまつわる私はどうでもいい人間なんだ…という過剰妄想、(ということにしてやってくれ)そんな私なのに今日なんかソワソワしちゃって恥ずかしい、なんてそんな切ない感じのものたちが「特別な日」の衣をまとってぶくぶくと膨れ上がり確かに確かに感じたはずの幸せを隅に追いやって精神の中枢で我が物顔をするわけです。なんてこと。頼むから幸福を吸い込んでくれよ。そっちの方面でぶくぶくと膨れ上がって私を幸せと感謝の気持ちでいっぱいにしてくれよ。そう、切に願うんだけど、負に傾いた螺旋階段はゆっくりと倒れていったのでした。

果たして。どんな誕生日を迎えれば、私は満足するのだろうか?「たくさんの人に囲まれて生まれたことを祝われる」「自分だけの特別な素敵な何かを手に入れる」「いろんな欲を存分に満たす」ああ、考えただけで己の欲深さが嫌になってくる選択肢だね!かといって自分を生かしてくれる全てのものに感謝…みたいな自然幸福志向派みたいなこともきっとできない煩悩の私が目指すちょうどいい誕生日の落としどころは、ちょうどいいのは、

「おめでとうをありがとう、今日は好物をたべます」

くらいのところだな!という結論、来年はそんな一日を目指します。

(目指している時点でやっぱり煩悩人)