野放しのイライラとスマイル地獄

イライラした働き方をしているな、という自覚はあるけれどイライラした働き方をやめられない時というのがある。幽体離脱したみたいに自分の姿を眺めてみても、止められないことがある。なぜだろうなあと考えたら、自己愛なのかなあという今日の「とりあえずの」結論。客観的に判断できる損得云々以上に、自分のイライラを野放しにすることで自分を尊重しているような気持ちになるのだ。それが例えば他人由来のイライラであれば、その人はきっとこういう状況でこういう気持ちだったんだろうな、というところまで想像もできるのに。自分のことがいちばんだから、「私の今のこのイライラを無視したら誰が報ってくれるの!!!」と思うのだ。そして、大抵の場合、感情と行動を切り離して「私のイライラ」を無視した方がのちのちには気持ちの良い結末が待っているのです。それでも。それでも!明日も私はきっと8割の確率でイライラを野放しにしてああだこうだ怒りを募らせるのだろうなあ。なんともなんとも。

 

全く関係ないけれど唐突に思い出したのは高校の文化祭の出し物、でやったバトンダンス、の練習の風景。フリフリのミニスカートにツインテールで踊るバトンダンスとだぼっとした服を身に付け踊るヒップホップをいっこにまとめてやるっていうあのアイデアは完全に当時あのクラスの「中心人物」たるギャルたちの統一感もセンスもないアレだったんだぜ、って十年経った今文句いってる。チーム分けの日学校を休んだ私は知らぬ間にフリフリミニスカート軍団に入れられ、「笑顔で踊れてる人から練習終われる」という拷問的処置の中必死で頬を引き攣らせながらそれでも中々呼ばれない自分の名前と次々に抜けていくクラスメイトの女の子たちにさらに頬は引き攣った思い出。思い出、というより苦い記憶。いつだってギャルは中心にいて、また、いなければならない存在だったから彼女たちにもそういう立場なりの辛さなんてものがあったのかもしれないと思うけれど自分たちの好き放題できる環境はそれを上回る居心地の良さだったろうね。生まれ変わったとて私には属せないであろう集団。