つきよのだんごむし

一応軽度の「双極性障害」でどうやらHSPでアイドルを心の糧に社会人やってるだんごむし

気質にしろ精神障害にしろ

通院2か月に1回に減った。薬の量は変わってない、けどそもそもが少ないのでどちらにせよ少ない。

自分の状態のことを職場で誰にも伝えていないので苦しい、誰か一人でも知っていてくれればと思うけど、周りに言うのはそれを言い訳にしてると思われたり大げさに言ってるだけだと思われるのに耐えられないからできない。(前の職場でそれで失敗した)というところが今回は相談したいポイントだったけれど、まあ、変わらず「周りに理解してもらおうと思わず、自分で逃げ場を作るなど対処をしていくのがいいです」ということだった。やってるんですけどね。それでも苦しいんですけどね、とは思うけれど、それで簡単に楽になるなら通院も服薬もしていないのだ。ということで模索は続きます。

 

先生は物静かでこちらの言葉に耳を傾けてくれるけれど、窓口の方々がどうにも苦手だ。メンタルクリニックで待合室全員に聞こえる声でしゃべったり笑ったり、内容や個人情報まるわかりな感じで予約の電話とるのとかどうにもならんのかなと思う。小さなクリニックだから無理かなあ。

 

テレビでHSPを取り上げていて、診断テストがあったのでやってみたら見事に全項目当てはまってしまい、でもそりゃそうだわな、くらいにしか思わなかった。カウンセリングでHSPだと診断された、という出演者が、司会者から「病気じゃないんですか?」と聞かれて「病気ではなく気質です」とはっきり答えていたのがいいなあと思った。スタジオには診断テストの項目にほとんど当てはまらないという出演者が多くて、でも指原さんが「だからよくわからない」じゃなくて「ということは自分は気づかないうちにHSPの人を苦しめていたかもしれない」という風に思考転換できていてすごいなと思った。また、他の出演者が(スタジオの女性出演者に当てはまらない人が多いのを受けて)「やっぱり女性の方が強いんですよね」といったときに「それは男性女性とか関係なく個人の違いだと思う」と言葉をはさんでいたのもいいなあと思った。

 

気質にしても精神障害にしても、これからも細分化はどんどんと進んでいって、誰もが何かしら名前の付いた症状を持っていますと自覚する世の中が来るんだろうけれど、こうして名前が付くのも人によって感じ方は様々。

名前が付いたことで安心する人もいれば、枠にくくられるのが嫌だという人もいるだろうし、そうやって細かく名前を付けること、それを自分に当てはまらないものまで知らなきゃいけないということを煩わしく思う人もいると思う。

名前がついたことで「ああ、私は〇〇なんだ」と自己暗示みたいになってしまうこともあるだろうし…(私も現状、それをなかなか客観的に見極められない)

 

ただ、自分の症状や状態に名前が付くことは、自分を理解する一手段になる。

どうすればいいかわからなかった心や体の状態への対処法を、集合知から得られるようになるのは大きな大きなメリットだなと思う。

 

名前がつきました、じゃあ「私はこうだからこうなんです受け入れてください」というよりは、「わたしはこうだからこうすればいいのか」という方面の感じでまずは受け止めると、周りに理解が得られないことを「私はこうだって診断されたのに!」という事実に依ってさらに苦しむのは回避できるかもしれない。

人が自分と違う人のことを理解して受け入れることなんてエベレスト級に難しいことだし、ただただ、自分が自分のことを各々で勉強して理解する流れになれば、相互理解はできずとも共存はしていけるのかな、それっていい感じだな、と思った。