月夜のダンゴムシ

吐いてためる

ブランニューわたし

ちまちまとブログを書いていてやめてから二年ほどたって、そういえばブログでも書こうと思い出して書き始めた二年間の間にはそれはもういろんなことがありしたけれど、私自身としてはあまり変わっていないんじゃなかろうか、と他人事のように思っている。引っ越しをしたし仕事を辞めたし、祖母を亡くした。ずるずると沼の底に沈んでいく毎日を阻止すべく書きましょう書いてみましょう、の気持ちで宜しくお願いします。

 

先日誕生日を迎え、生まれて初めて厄払いというものに行ってきました。どこに行けばいいんじゃろとあれこれネットでサーフィンしてみた結果、以前から「おまもりがかわいい」という理由で行きたいリストに入れていた神社が厄払いのお知らせを前面に押し出していらっしゃったので行くことにした。

平日・雨・お昼時・の境内はそれでもちら、ほらと人の姿はあって、そわそわと緊張しながら「すみません、厄払いを」と一歩踏み出せば巫女の方、淡々と穏やかに説明をする合間に小声で(声掛けてきて、今お昼食べてるから)と他の巫女さんに囁き伝える声が聞こえる。お昼時にどうもすみません、と心がしゅんしゅんと委縮する中で、お祓いに併せてお願い事もひとつ選べます、というオプショナルサービスみたいなものに則って80以上もあるお願い事項目にじっくりと目を通す。健康にまつわるものだけでも4つ5つあってなかなか選べたものではない。ようやく、これかな!と選んだ「心願成就」を指させば、それはここにあるどれにも願いが当てはまらない場合のものです、と言われ、当てはまるものがないわけではないのだけれど、そうですか、と呟いておすすめされた1番の「身体健全」を指さしていた。選んだ端から頭の中ではこれでよかったのですか問答が始まっていたけれど、選んでしまったからもう仕方がない。

待合室に通されると一人の女性が白い羽織を纏い静粛な面持ちでお待ちになっている。お飲み物をどうぞ、のマシンは故障中の張り紙がしてあった。喉が渇く。私も白い羽織をもらって、端っこにちょんと腰掛ける。目の前にはお一人ひとつどうぞ、と書かれた花の落雁があり、これは食べてもよいものか、試されておるのか私は、と思いながらも食べたいの誘惑に勝てない私はひとつをひょいと口にほおりこんだのでした。喉が渇く。

間もなくして御祈祷の間へ通される。見ず知らずの方とふたりきりでのお払いです。巫女さんの指示にしたがって、頭を下げたり、前へ進んだり、座ったり立ったりする。とても厳粛な空気だ。暗い場所から明るい神棚の方を見ているだけで気持ちがおごそかになる。シャンシャンと鳴る鈴の音は澄んでなにやら魂に呼びかけてくるようだ。この神社の厄払いではひとりひとりの名前とさっき選んだお願い事を声に出して読み上げてお祈りをしてくださる。私はなかなかファンシー寄りな下の名前を授かっているもので、自分の名前を真面目に呼ばれるとちょっと笑いそうになってしまう節がある。いまだにちょっとこそばゆいのだ。御多分に漏れず、この神聖なる場でも口から空気が漏れそうになったので唇をん、と食いしばって神妙に神妙に頭を下げていた。むふ、と口角がむずむずすることはあっても、笑うことはなかったので合格である。鳥居と神様のお社へのお参りもして、いろいろなお札などを授与されて、無事、私の厄は払われたのでした。

待合室の入り口に傘を忘れていたのを、自分で思い出して取りにいけたのでやはり幸先がいいです。神妙神妙。